防滑市場の育成に半生をかけて!!
平成7年7月、広島の展示会場で、何気なく立ち寄ったブースの滑り止めに魅入られ、ありったけの金を掻き集め、数日後にはM社の加盟店になってました。契約時に国内第1号と知らされ、その時初めて〃この滑り止め工法はこれからなんだ〃って事覚りました。
さて、前回記しました米国のP社長とのやり取りの流れの中で、ならば私が溶剤の開発に挑戦するって話に変わってしまうのですが、大金出してP社とOEM契約を交したM社のO社長に誤解されても困るので、P社長とのやり取りの中での核心部を一部記します。
私がP社長に『Pさん、メンテナンス業者に会って話した事がありますか?』と言うと『あるよ。彼等はプロなんだから何でも出来るんじゃないの?』・・米国流なんでしょうかね。ホント、アバウトな答え。・・・
ならばと私が切り替えします。『先日、クレームのあった浴場施設に行って作業中のメンテナンス業者さんに会ったんだけどね。20代前半で茶髪の若者が2名と、60代のおばさんが1名計3名で黙々と作業している中、少しだけ話したんだけど、メンテナンスの経験は、おばさんが2年で2人の若者は1年程度なんだよ。各々の能力は計り知れないが、本当にPさんの言うとおり何でも出来るんだろうか?』・・するとP社長は一瞬・・『・・・・・』そして返ってきた言葉が・・・
『内藤は難しいね。我々は溶剤を販売するのが仕事。加盟店は施工をするのが仕事。滑り止めを維持するのは、メンテナンス業者の仕事だよ。』・・・米国の人は責任施工と言う言葉の意味が理解出来ないのかなぁ・・・なんて思いつつ、最後に私が言った言葉が自ら溶剤開発の門戸を開く事になってしまいます。・・・『Pさん、私の失敗の中には、光沢のある赤の御影石や、黒の御影石の施工があるんだけどね。赤がピンクに、黒がグレーに変わって光沢も飛んでしまって、元に戻せってお客さんに怒られて大きなロスを出した事もあるんだけど溶剤何とかならないの?』・・・呆れたようにP社長が言います。・・・『内藤、床って何千何万ってあるのよ。我々も色々考えた結果3種類にしたんだよ。まして光沢なんて残したら滑りは止まらないよ。無理だよ。』・・・納得出来ない私は・・・『無理か否かはやって見ないと分からないでしょう。Pさんが出来ないのなら私がチャレンジしたい。』・・・更に呆れた声でP社長・・・『内藤、出来ると思うのならチャレンジしなさい。来年また日本に行く。大阪にも行くので、それまでに内藤の言う〃らしきもの〃が出来ていたら見せに来なさい。』
翌年,約束通りP社長は大阪にやってきました。私は〃らしきもの〃を8種類持参しP社長に提示しました。
あの時のP社長の驚いた顔を今もよく覚えています。そしてその時、P社長が言ってくれた一言が更に私をやる気にさせたのです。『内藤、よく頑張ったな。お前はすばらしい。』これ以上の褒め言葉はありません。米国人って大きいナぁ
P社長の話。・・内藤、これからも共存共栄ですよ。
私は・・・・・・・・Pさん、内藤はまだまだこれから勉強よ。M社とは基本的な発想が違うので別離するかも知れないが、邪魔をする気はない。M社は従来通り加盟店ビジネスをやればいい。私はもっと勉強して、この奥の深い滑り止めの価値観を高め、多くの人に認知してもらう為にも、第2、第3の内藤的感覚を持つ人材の育成をテーマとして頑張るよ。
平成11年春先の出来事でした。
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